ゆっこ経験イラストレポート『11年前の東日本大震災 3.11』

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11年前のレポートです

こんにちは、ゆっこです。いつもブログを見ていただきありがとうございます。

今日は3月11日ですね。ということで、11年前の『東日本大震災』について私が経験したことをイラストともに書きたいと思います。

注意してほしいことは、今回はいつものバカ話ではなく、11年前に経験した震災の話です。

震源地から離れた静岡県で経験したことなので、激しい表現はありませんが、震災の話が苦手な方は、読むのは控えるようにしてください。

それでは、始めます。

ゆっこ体験イラストレポート『11年前の東日本大震災 3.11』

今日は3月11日。私が経験した東日本大震災について描きたいと思います。
震源地から離れた静岡県で経験したことなので、激しい表現はあまり無いとは思いますが、震災の話が苦手な方は、この漫画を読むのは控えてください。大丈夫な方だけ読んでください。
私は大学卒業後、静岡県のとあるホテルに就職しました。入社後フロントに配属されました。地元では名が知られたホテルだったので、長期休み等は満室が続き、忙しい日々を過ごしていました。
正直、ホテルで働いているとキラキラしたイメージがあるかと思いますが、大変なことも多く、勤務時間も不規則で、サービス残業当たり前、そして陰湿な女子の世界もあり、同機はどんどん辞めていきました。
特に電話を担当している予約センターには同期が3人入りましたが、3人中2人辞めてしまい、私がフロントから異動することになりました。
異動した日は、入社後2年目の2011年3月11日、なんと東日本大震災の日でした。
朝9時に出社して、異動の最初の挨拶を済ませた後、初日だったのでセンター長の高林さんの隣で、仕事を教えてもらうことになりました。
幸い高林さんは半年前までフロントで一緒に仕事をしていて、予約センターに異動していたので話しやすく、助かりました。
ただ、9時を過ぎると電話は鳴りっぱなしで、正直わからないことを聞きたくても高林さんも含め、先輩方も、唯一いる同期も電話に出ている為、聞くに聞けない状態、「これが予約センターの現状か、、、」と泣きそうになりながら仕事をしていました。やっと昼休憩になり、その時来ていたフロントの同期に会っったら泣き無くなったのを覚えています。
昼休憩から戻り、気持ちを切り替えて気合いを入れた私は、必死に電話に出て、わからないことは無理やり聞きまくって、時にはフロントの上司にも助けを求め、なんとか過ごしていました。この日は満室だったのでフロントもバタついていたので申し訳なかったです。
そして突然電話が鳴り止んだ時間がありました。今思えば、嵐の前の静けさだったのかも。10分くらい電話がならずに、先輩と談笑できる時間がありました。そして、1本の電話がなりました。
相手は東北の旅行会社さんで、高林さんに電話でした。しばらく普通に話をしていたのですが、突然電話口から悲鳴と何かが崩れる音がしました。
「あれ?もしもし?どうしました?」高柳さんが聞くと電話が切れてしまい、予約センターのみんなも「何だろう?」とキョトン顔。そしてすぐに何が起こったのか理解しました。数秒後に静岡のホテルもグラグラっと大きく揺れたのです。
大きく揺れたと言っても、実際は震度4で、震源地に近い地域に比べれば小さな揺れなのかもしれませんが、この後大きな揺れが来るかもと身構えました。余談ですが、静岡県民は地震が起こると「東海地震がついに来た!」と思います。何十年も前から東海地震が来ると言われていて、学校でもたくさん避難訓練したし、授業でも嫌と言うほど聞かされたので。予約センターのメンバーもほぼ静岡出身で、そう思っていました。
総支配人がテレビをつけて見始めたので、見たかったのですが、電話はパラパラと鳴り出したので、気になりつつも、仕事をしました。電話の相手も「今揺れましたね」などとそれぞれ地震の感想を挨拶がわりに、電話をかけてきました。しばらくすると、事務所の中がざわざわし出しました。
何だろう?とテレビをを見てみると、大きな津波が押し寄せて家が簡単に飲み込まれていく光景。一瞬現実ではなく、映画の世界だと思うほどの光景でした。
予約センターの先輩に、東北出身の人がいて、津波の付近は弟が住んでると教えてくれました。その後弟さんは無事だったとわかり、予約センター一同安心したのを覚えています。
そして、そこから電話が鳴り止まなくなりました。内容は本日宿泊予定だったお客様からがほとんどで、公共交通機関は止まってしまった影響で、キャンセルの電話でした。
満室だった予約は、ほぼゼロになってしまいました。そして落ち着いたと思ったら今度は仕事帰りに家に帰れなくなった人たちからの予約の電話が鳴り止まず、結局キャンセルでゼロに近かった状態から満室になり、それでも電話は鳴り止みませんでした。困っている人の力になりたいと思い、私たちは必死に近隣の宿泊施設を探して連絡を取り合い、なんとか泊まれる場所を探していました。
退勤時間になり、「明日は元々休みのシフトなんだけど、次の日も予約が無くなってやること無くなっちゃったから、2連休でいいよ」と言われ、嬉しいと思いつつ、一人暮らしは心細いと思いながらロッカーに行くと母からメールが来て、「アパート周辺が津波が来るって立ち入り禁止になってるよ」と教えてくれました。
フロントでまだ仕事をしていた、実家暮らしの同期に、状況を説明し、泊めてもらうことになりました。帰宅中も、通行止めばかりで。回り道をしながら帰りました。
急な泊りに嫌な顔せず泊めてくれた同期の家族には感謝しかありません。翌日新幹線だけ動いていたので、実家に帰りました。
その後ホテルはしばらくお客様の予約は少なく、パートさんを休ませることになり、社員の私たちが大浴場の清掃をして、パートさんのありがたみを感じました。
幸い私のまわりでは、ひどい被害もなくすみました。被災された方には心よりお見舞い申し上げます。
あれから年たち、家族も増え、周りの環境も変わりました。
このレポートを描くことで、震災について家族で話そうと思いました。

最後に

震災は突然来るので、今のうちに備えられるものは備えておこうと思います。

もし、旦那がいない時に地震が起きたら、どうやって娘2人を守ろう、と不安になることもあります。

いざという時のために、今のうちに家族で色々話し合っておこうと思います。

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